いろは堂のお店は長野市・善光寺と白馬村の中間点、鬼無里(きなさ)にございます。のんびりお茶ををのみながら、作りたての「おやき」をお楽しみください。
郷土の作品や珈琲などをお楽しみいただけるギャラリーもございます。お近くへお越しの際はぜひお立ち寄りくださいませ。
いろは堂の歩み
いろは堂は大正14年、長野県小川村大字稲丘において先代が暖簾分けで和菓子屋を創業したのが始まりです。昭和29年に鬼無里村(きなさむら)に移転し、学校給食のパン・和菓子などを製造販売しておりました。
おやき の製造・販売は昭和40年より開始いたしました。そのきっかけは、当時鬼無里村に本州一の水芭蕉の群生地(奥裾花自然園・約81万本)が見つかったことです。全国から大勢の方が観光に訪れてくださるようになりましたので、信州の家庭料理である「おやき」をご提供しようと考えたのです。
しかし、当初はあちこち販売して回ってはみたものの、なかなか思うように売れませんでした。そして昭和60年になるとふるさと創生・一村一品ということで、おやき が注目を浴び、雨後の筍のようにたくさんの おやき屋さんができました。
その頃からお客様の評判も上々となり、いろは堂の おやき のことを人づてにお聞きになって来店くださるお客様が急増しました。
一般的に、おやき は蒸すものが多い中、先代は おやき の語源通り焼くことにこだわり続けました。どのように焼けばお客様にご満足いただけるのか、と試作に試作を繰り返し作り続けました。いろは堂の おやき には、今もなおその製造方法が引き継がれております。
いろは堂ではお菓子というより田舎の家庭料理として、ファーストフードではなくスローフードとして、今日も おやき をつくっております。
鬼無里のいろは堂店内には「お客様ノート」がございます。
ご来店くださいましたお客様が、様々なご感想を残してくださっております。
これまでにたくさんのお客様にご来店いただき多くの出逢いがございました。
その中で特に心に残っているエピソードをちょっとご紹介いたします。
いろは堂のお店は長野市方面からお越しになるにしても、白馬村方面からお越しになるにしても、ひと山・ふた山越えていただかなければなりません。
評判を聞きつけてお越しくださいましたお客様が車酔いされ「せっかくここまで来たのに おやき が食べられない」とお嘆きになり、本当にお気の毒で恐縮した思い出がございます。
上高地へお出掛けになったお客様がお友達に「いろは堂の おやき を買ってきて」と頼まれて、帰り道と反対の方向にもかかわらず回り道をしてお立ち寄りくださった時のことです。
上高地から道に迷われ、お店に辿り着かれたのは午後9時頃でございました。私も店を開けたままお待ちしておりました。苦労の末ご来店くださいましたご本人様も当店の おやき を大変お気に召され、今もお付き合いがございます。
いろは堂では永いお付き合いや、世代をまたぐお付き合いも多数あり、本当にありがたいことでございます。
次は女将に聞いた話でございます。
東京からお越しになったお客様でした。長野までの電車の車中、座席の近くにいた人がいろは堂の おやき の話をなさっていたそうです。さぞかし美味しいのだろう、と気になって長野駅からタクシーに乗り、大雪の中(女将は「あれはたしか1月9日のこと」と日にちまで記憶しているようです)買い求めに来られ、はるばる来た甲斐がありましたと美味しそうに口に頬ばる姿に女将は大変感動したとのことでございます。そのお客様も「でも長野市内から、こんなに遠かったのですね。」と苦笑いされていたそうです。